昨日(6月16日)、ボーイスカウト安佐第6団の発団50周年祈念式典・祝賀会が10時より沼田町伴「専念寺」で開催されました。
この団は昭和38年その当時の龍池山専念寺の第24代住職である「龍山真之」氏が初代BS隊長として発団されました。それまでは子供たちを集めて「日曜学校」を開いておられましたが、その日曜学校を発展的解消して立ち上げられました。私も日曜学校には通っていました。それから50年子供たちを集め、団体の規律・異年齢の付き合い・人を思いやる心等、日本のボーイスカウトの祖である「後藤新平」氏の唱えた「自治三訣」を中心に子どもたちを育んでこられました。
現在は、育成会会長を専念寺住職 龍山永明氏、団委員長を西田雅行氏が勤めておられます。
式典は専念寺本堂の前で厳かに和やかに行われ、祝賀会は思いで話に花が咲きました。
ボーイスカウト安佐第6団
広島市安佐南区沼田町伴にある浄土真宗本願寺派のお寺、龍池山専念寺を団本部として活動しています。 ボーイスカウト隊の対象年齢は小学校5年生の9月〜中学校3年の8月末までです。男女とも入隊できます。 平常は月3回程度、日曜日に団本部で集会を行っています。春・夏・秋には土日祝日を利用して月1回程度キャンプをしています。約4km離れた山林に龍池野営場を持ちアウトドアの催し、訓練に数多く使用しています。
団行事は地域との交流を特に重んじ 年間いろんなイベントに参加しています。団内情報配信として毎月の団会議では決まった要項を月刊6団紙「千年路」に掲載し(現在254号)メールと新聞で各家庭に配信しています。又、年間のさまざまな写真の中からベストショットを「6団オリジナルカレンダー」に載せ12月28日夜警の日に配ります。
ボーイスカウト
イギリスの退役軍人のロバート・ベーデン=パウエル卿が、イギリスの行く末を懸念し、将来を託すことの出来る青少年の健全育成を目指して創設した青少年運動である
後藤 新平
安政4年6月4日(1857年7月24日) - 昭和4年(1929年)4月13日)は日本の医師・官僚・政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。
日本には1908年(明治41年)に このボーイスカウト運動が伝わりました。1922年(大正11年)4月13日に「少年団日本連盟」が創立され、ボーイスカウト国際連盟に正式加盟し、世界の仲間入りを果たしました。これが日本におけるボーイスカウト運動の始まりです。
台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長を歴任した。
後藤新平がスカウト運動の本質について問われたときに残した言葉は、「人の御世話にならぬ樣。人の御世話をする樣に。そして酬いをもとめぬ樣。」であった。現在この言葉は、「自治三訣」と言われている。
計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、日本の植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案した
後藤が脳溢血で倒れる日に三島に残した言葉は、「 よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」であったという。
専念寺本堂正面
沢山の来賓・OB・ボーイスカウトを前に先代の奥様が50年前の思い出を話されました。