昨日(8月24日)、「竹内重喜」部長の葬式がありました。一昨日6時からはお通夜がありました。沢山の職員や知人がお通夜・葬式に来ていました。全員、彼の死を信じられない、何とかならないかと話していました。
冥福を心よりお祈りしました。
松井市長はお通夜の始まる10分前に防災服で来られて、祭壇の前で簡単に手を合わせて帰られました。葬式には来られませんでした。当然、災害が起こり対策本部も立ち挙げて、大変忙しく市長の行動に制約はあると思います。特に昨日24日は安倍総理が広島入りするという事になっていました。
しかし、安倍総理は天候が悪く、こんな時行っても現地に迷惑をかけるだろうと早朝に中止にされました。(私の所に早朝、国会議員から連絡がありました)
市長は広島市のトップです。自分の行動・時間は自分でコントロールできます。部下の葬儀に出て焼香をするくらいの時間をとれると思います。部下あっての市長です。特に竹内部長については、秋葉市政で止まっていた、駅前再開発・広大本部跡地・交通対策・アストラムの延伸等を中心となって、現在の形まで持ってきました。現市長を各方面が評価する事業そのものです。
上から目線だけでは部下はついてこなくなると思います。
20日の記者会見で、避難勧告が出たのは土砂崩れなどが相次いだ後だった事と防災計画上では勧告を出すのは原則市長だが区長らが発令していた事を記者に質問され、「何でも私がするのがリーダーシップとは思っていない。それぞれの区で判断できるという計画になっている。判断をしている時に私の所に情報が入ったという状況ではない」と述べた。という記事がありました。後半が良く解りませんが、防災計画の文章の解釈について言っておられるのだろうと思います。
また、松井市長は災害があった20日未明、午前3時に対策本部の立ち上げなどについて報告を受けた後、午前7時に登庁するまで自宅にいたと説明している。「寝たり休んだりしながら情報を聞き、対策会議を開くと言うことで関係者を招集した」。今回の対応について、「私も職員も計画に基づいて対応したと思っている」と述べた。という記事も乗っていました。(朝日新聞デジタル)
対策本部立ち上げについては、県は湯崎知事を中心に朝6時半に開かれました。広島市は7時30分でした。立場が違います。