長崎原爆の日

 昨日(8月9日)は、「長崎原爆の日」でした。
 長崎市への原子爆弾投下は、1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分でした。この時間に合わせて長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を行っています。広島市からも議長を始め何人かの議員が参加しています。

 原爆死没者名簿登載者数(平成28 年8月9日現在)  172,230人


 広島にははウラン爆弾、長崎はプルトニウム爆弾でした。
 広島型はウラン爆弾。原材料のウランは核分裂するウラン235の元素がわずか0.7%しかなく、遠心分離機を使って取り出すのに手間がかかる。しかし爆発はさせやすいといわれています。
 長崎に投下されたプルトニウムを使った原爆は、原子炉を稼働させることで爆弾の原料であるプルトニウムを簡単に取り出せる。長崎型は起爆の難易度が高いため、米国ニューメキシコ州アラモゴードで人類初の核爆発実験を行ていました。

 長崎に落とされた原爆によって、昭和20年末までに7万数千人が亡くなっています。14万人以上が犠牲となりました。広島が人類史上最初の被爆地なら、長崎は現時点において「最後の被爆地」ということになります。

 2発目を長崎に落とした意味は色々と言われています。
 ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判の主席検事で米軍准将、テルフォード・テイラーは、「広島の是非については議論の余地がある。だが長崎を正当化するもっともらしい理由を聞いたことがない」と述べています。
 原爆開発史や原爆投下の道程を研究しているスタンフォード大学のバートン・バーンスタイン教授はこう言っています。「1発目の原爆投下の必要性をどのように考えるかはともかく、8月9日に長崎に落とされた2発目の原爆はほぼ間違いなく不必要なものだった」(『核の戦後史』より)

               (Yahoo!ニュース)引用
 核兵器開発の実験として使われたとしか思いようが有りません。

 

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