昨日(7月31日)、消防上下水道委員会の市内視察が13時より行われました。
視察先は、「水道資料館」「旭町雨水滞水管」「水上出張所」でした。
水道資料館
資料館の建物は、大正13年に建築された送水ポンプ室で、昭和20年8月6日の原爆投下にも耐えた歴史ある貴重な建物です。
この建物の中で、明治時代の創設から原爆投下の際にもこれを克服し、今日までずっと水を送り続けている広島市の水道の歴史を詳しくご紹介しています。
広島市の水道
広島市の水道は、明治31年(1898年)8月25日に創設、翌32年(1899年)1月1日に給水を開始しました。それまで、人々の多くは太田川の水を直接、飲料水としていましたが、水害が多く発生し、しばしばコレラや赤痢などの伝染病が流行したことから、水道の布設が強く望まれるようになりました。その後、明治27年(1894年)に日清戦争が起こり、広島市が軍事上の拠点となったことから、軍用水道とこれに接続する市民用水道として水道布設工事が進められました。平成10年に100周年を迎えました。平成20年度末現在で約120万人の方々にご利用いただいています。広島市と、安芸郡府中町、坂町へ給水する広域水道として発展してきました。
原爆投下
原爆投下と同時に牛田浄水場は停電し、送水が停止し、配水池に残っている水だけで給水が続けられていました。
被爆し、火傷を負っていたにもかかわらず、堀野さんは牛田浄水場へ駆けつけ、壊れたポンプを必死に応急修理しました。そして被爆6時間後の午後2時ごろ、予備の送水ポンプの運転が開始され、夕方から1日43,000立方メ-トルの給水ができるようになったのです。
このひとりの職員の行動により、広島市全域での断水は避けられ、水道創設以来、最大の危機を免れました。いまでも、広島市の水道は、この不断水の記録を伝統として守り続けています。
水道資料館
旭町雨水滞水管(この地区の雨水浸水対策を行っています)
水上出張所(宇品南消防署の隣にあります)
水上艇に乗り宇品沖で放水を行いました