安佐南区PTA連合会総会

 昨日(5月12日)安佐南区PTA連合会「平成30年度総会」が17時より緑井の「酔心」で開催されました。PTAについては色々な問題が提起されています。そこで原点に返って考えてみたいと思い調べてみました。

PTAのおいたち
 PTA(Parent-Teacher Association)はアメリカで生まれたもので、その創始者はバーニー(A.M.Birney)夫人だと言われています。19世紀の後半になると、アメリカでは工業化や都市化が急速に進み、豊かな繁栄の時代を迎えます。しかし、物質的な豊かさとはうらはらに、子どもたちをとりまく環境は、決して望ましいものではありませんでした。バーニー夫人は子どもたちが健やかに成長していくためにはまず何よりも環境を整備しなければならないと考え、「母親の会」をつくり運動を進めていきました。
 1897(明治30)年2月17日、バーニー夫人は、ハースト(P.A.Hearst)夫人とともに全米母親大会をワシントンで開催し、子どもの健全育成と教育環境の浄化を訴え、多くの提案をしました。そして、全国的な組織として、「全国母親協議会」(National Congress of Mothers)を発足させました。
 その後、協議会では組織の拡充を図り、父親や教師にも参加を求め、1924(大正13)年には「全国父母教師協議会」(National Congress of Parents and Teachers)が結成されます。これが今日のPTAの母体といえます。

日本のPTA
 わが国では、第2次世界大戦後にPTAが生まれました。戦前には、学校の後援会的な性格の強い父母会や保護者会がありましたが、戦後になってアメリカの「父母と教師の会」をモデルとして、PTAがつくられました。
 昭和21(1946)年3月に、日本の教育の民主的改革のために来日していたアメリカ教育使節団が、報告書を提出しました。その中で、民主化の一つとしてアメリカのPTAを紹介し、日本でも結成することを勧奨しました。それを受けて文部省は、昭和22(1947)年3月に、「父母と先生の会-教育民主化のために-」という冊子を作成し、各都道府県知事あてに配布してPTAづくりを奨励しました。その結果、昭和25(1950)年までには、全国のほとんどの小中高校にPTAが結成されました。 昭和27(1952)年10月には「日本父母と先生の会全国協議会」(現在の日本PTA全国協議会)、11月には「全国高等学校PTA協議会」が相次いで発足しました。

PTAの性格
 昭和24(1949)年6月の社会教育法制定公布にともない、PTAは、同法に規定する社会教育関係団体としての取り扱いをうけることになりました。
 同法の規定によれば、社会教育関係団体とは「公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行うことを主たる目的とするもの」(第10条)であり、社会教育関係団体に対して、「国および地方公共団体は、不当に統制的支配を及ぼし、又はその事業に干渉を加えてはならない」(第12条)のです。 つまりPTAは、あくまでも自主的、民主的に運営される団体です。
 さらに、前述の「父母と先生のあり方について」では、「父母と先生の会(PTA)は、学校に在籍する児童生徒の親および教師によって学校ごとに組織」され、「父母と先生の会(PTA)は、会員の総意によって民主的に運営され、特定の政党、宗派にかたよる活動や、もっぱら営利を目的とする行為を行わない」団体だと述べています。
 よくPTAと学校の関係とか、PTAの行うべき活動としてふさわしいかどうかといったことが問題となりますが、このPTAの性格を正しく理解して、適切な判断ができるようにしたいものです。

 

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