昨日(8月5日)10時より平和公園内の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」前で広島への原爆投下で亡くなった韓国人を悼む慰霊祭が営まれ、1年間で新たに亡くなった12人を加えた2746人の死没者名簿が奉納されました。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑
建立年月日 1970(昭和45)年4月10日
建立者 韓国人原爆犠牲者慰霊碑建立委員会
形状
亀を形どった台座の上に碑柱が建ち、その上には双竜を刻んだ冠が載せられている。(「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という故事に倣う)
碑石はすべて韓国の銘石で、現地で製作され運ばれた。(高さ5m、重さ10トン)
慰霊碑には「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の刻字の横に「李鍝公殿下外貳萬餘霊位」と刻まれています。
李鍝[イ・ウ](1912~45)は大韓帝国皇帝だった高宗の五男の子。純宗や李王垠の甥にあたる人物で、当時は広島に置かれた第二総軍の教育参謀中佐で、8月6日は馬に乗って司令部への出勤途中福屋百貨店付近で原爆投下に遭い、本川橋西詰でうずくまっているところを夕刻発見され、市内似島の病院に収容されたが翌7日死亡したとのことです。(最初は李鍝氏が発見された場所に建立)
12時よりグランビアホテル広島に於いて「73周忌 韓国人原爆犠牲者追悼会」が行われました。