昨日(9月9日)は重陽(ちょうよう)の節句でした。
古代中国から伝えられた節句は、季節の節目となる日に神々にお供え物をして日々の無事を祈念するもので、日本における重陽の最古の記録は、養老4年(720)に完成した日本最古の正史『日本書紀』の天武天皇十四年(685)九月九日の条とされています。
平安時代には重陽は宮中の恒例の節会となり、貴族たちは菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んで詩歌を詠み交わし、舞を愛でる宴が催されました。
江戸時代になると、幕府は数ある節句の中でも5つだけを重要な式日として「五節句」を制定しました。五節句の中でも有名なのは、3月3日の雛祭り(上巳)や5月5日の端午、7月7日の七夕です。
ほかのふたつは、1月7日の人日、9月9日の重陽の節供です。
庶民の世となって以降、商売と結びつきにくい節句はどうにも存在感が薄れてしまい、この2節句は今ではほとんど忘れられています。人日はまだ七草粥の日として残っていますが、重陽となると知らないという人も多いのではないでしょうか。
古代の中国では、陽の数(奇数)の最大数である九が重なることから9月9日を重陽と呼びました。加えて、九が永久の久と同じ音であることから、重陽の日はほかの節句以上にめでたい日として祝っていました。また、年間の五節句を締めくくる行事として重陽はほかの節句以上に盛んに行われていました。
上巳(3月3日)には桃、端午(5月5日)には菖蒲、七夕(7月7日)には笹といったように、節供には必ず使われる植物があります。重陽の場合、それは菊です。今でこそ9月はまだ残暑がありますが、旧暦では菊の花が見ごろを迎える時期です。季節の美しい花で、しかも葉は青々と濃く、非常に長持ちして、長寿の薬効があるとされた菊が重陽の花として選ばれた理由だと思います。
菊の節句との異名もある重陽には、「菊被綿(きくのきせわた)」という風習が平安時代の宮中の伝統として伝えられています。
菊被綿は、重陽前夜に菊の花を真綿で覆っておいて、重陽の日の朝、菊の香りと夜露が染み込んだ真綿で身体や顔を撫でるためのものです。こうすると、若さ保つことができるとされ、不老長寿を願って行われました。
(THE PAGE HP引用)