敦賀市

 先日行った敦賀市で敦賀駅から気比神宮までの道路沿いに「宇宙戦艦ヤマト」・「銀河鉄道999」の像が並んでいました。「松本零士」さんの出身地でもないのになぜだろうと調べてみました。

 

 敦賀は全国有数の鉄道と港のまちです。明治時代に日本海側初の蒸気機関車が敦賀を走り始め、また、東京の新橋駅と敦賀の金ケ崎(かねがさき)駅を結ぶ欧亜国際連絡列車が運行しました。ロシアのウラジオストクまでの直通定期船により、大陸に最も近い場所として栄えてきました。

 

 東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、敦賀は「日本でも有数の鉄道と港の町」でした。
 1999年(平成11年)に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体、「銀河鉄道999」のブロンズ像18体の計28体のモニュメントを敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置しました。

 

欧亜国際連絡列車
 第二次世界大戦後の1950年代までは、日本から欧米に旅行する際には主に船舶が使われていましが、それは日数も運賃もかかるので、一般の人が気軽に使えるものではありませんでした。ボート・トレインは、それら海外への旅行者と見送り客の都市から港までの便を図って運行される列車です。

 

 その創始は、1912年(明治45年)に福井県の敦賀からロシアのウラジオストクまでの航路に接続する形で、航路の運航日に限る東京駅 - 金ヶ崎駅(現・敦賀港駅)間の運行の開始されました。1920年(大正9年)7月23日には、神奈川県横浜市の横浜港からアメリカのサンフランシスコへの航路に接続するため、東京駅 - 横浜港駅間で運行が開始されました。その後、神戸港駅(兵庫県)がヨーロッパ諸国、長崎港駅(長崎県)が中華民国の上海、新潟港駅(新潟県)が朝鮮の雄基への航路に接続するボート・トレインが運航されるようになれました。 しかし、現在は航空機の発達で運行はありません。

 

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