イクラ

 昨日(11月29日)、テレビで「イクラ」について放映していました。近畿大学がイクラを売り出したというニュースです。養殖の「アマゴ」の卵だそうで黄色な卵です。味はいくらと変わらないほど美味しいそうです。

 

イクラの歴史
 鮭の卵としての「イクラ」自体は平安時代から存在しているようですが、どんな食べ方をしていたのかはわかっていません。

 

 江戸時代の「本朝食鑑」にイクラは「はららご」として記載されています。そこには塩漬けにした筋子をほぐしてばらばらの粒にしたものだと書かれています。
 ただしこれは天日乾燥した保存食で、現代のような生のイクラではなかったようです。

 

 明治40年以降になってようやく、イクラはカムチャッカでのサケ・マス漁業の発展によって、ロシア人から伝わりました。日本で生のイクラを食べるようになったのはこの頃です。ロシア語で「イクラ」は魚の卵だそうです。白イクラをサケの卵、黒イクラがキャビアだそうです。

 

 明治になってやっと生イクラが食用され始めましたが、珍味として扱われていたので江戸前寿司のネタにつかうなんてことはどの職人も思いつきませんでした。

 イクラの軍艦は人気の鮨ネタの一つですが、その歴史はまだ浅く誕生してからまだ70年程しか経っていません。

 

  江戸前寿司が誕生した江戸時代には、ネタは魚貝の刺身に限られていました。イクラが寿司ネタとして使われ始めたのは昭和に入ってからです。
 それが昭和16年のこと、銀座の高級寿司店「久兵衛」で、常連客の1人が主人の今田寿治さんに向かって、「もっと珍しい寿司を食べたいな。たとえば、イクラの寿司とか、うまそうだよなぁ」と話しかけたといいます。

 

 その言葉をヒントにして、今田さんは「しかし、イクラを酢飯の上にのせても、こぼれるなぁ」と考えました。イクラを魚介の刺身と同じように握ってはつぶれてしまうし、ただのせただけではこぼれてしまいます。

 

 そこで、店主は、寿司に海苔を巻き、上にイクラを乗せたところ、大成功。そして、酢飯を海苔で囲む「軍艦巻き」のアイデアを思いついたそうです。

 

 次に、その客が訪れたとき、今田さんが新考案のイクラ寿司を出すと、これが予想以上に受けて、イクラは店の定番メニューのひとつになりました。
  現在では、いろいろなネタが軍艦巻きにされていますが、その元祖はイクラです。

 

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