先日、「おばんざい」についてテレビで説明をしていました。弟の店「話食家 和」で昼に「おばんざい」として出しています。野菜が沢山食べれると、多くのお客様に人気が高いと言っていました。
現代、京都の人は普段「おばんざい」とは言わないらしい。京都で生まれ育った店主の梶原寿夫さん(60)は「日常生活で言ったことはない。『今晩のおかずは?』というのが普通だ」と迷わず話した。親や友人が使うのも聞いたことがなく「テレビなどでいつの間にかよく聞くようになった」と語る。
消えかけた言葉が全国に広がったきっかけは、随筆家の故大村しげさんらが1964年ごろに新聞に投稿した「おばんざい」という京都の食に関する連載だとされる。「京都の人が日常的に使って浸透したのではなく、京都の食文化を表す言葉として全国に広まった」(藤掛さん)。1830年創業のかまぼこ店の店主、浅田信夫さん(80)も「フランス人が毎日フレンチを食べないように京都の庶民も毎日は京料理を食べない。京都の食文化の中で、庶民が食べるおかずにも注目が集まったのではないか」とみる。
おばんざいは京都の家庭で、祖母から母へ、母から娘へ、また姑から嫁へと、受け継がれた京都の家庭料理のことをいいます。
古くからの商家や旧家が多かった京都市中心部では、切り干し大根やひじきのような乾物、おから、旬(しゅん)の野菜などを食材にした、平生から食べ慣れたおかずのことを「おぞよ」や「ぞよもん」、「おまわり」とよんでおり、魚などの比較的高価なおかずはこれらと区別して「お焼きもの」などとよんでいた。
おばんざいとは、このような日常的な総菜の総称である。京都では、かつては新鮮な魚介類の入手が困難であった一方で、塩干(えんかん)物、乾物、豆腐、旬の野菜や山菜などを使った料理が、禅宗の食文化の影響を受けながら発達してきた。
おばんざいは、昆布や鰹節(かつおぶし)のだしのうまみを生かし、安価な旬の野菜や乾物を調理する点に特徴がある。今日では、京都にみられるだしの味を生かした総菜や酒の肴(さかな)などを表すものとして世間で広く使われるようになった。
「おばんざい」は漢字では「お番菜」が一般的であるが、お晩菜やお万菜と書くこともある。「番」の文字には、日常的な、粗末な、といった意味がある。商家などの町衆や奉公人の質素倹約を信条とする慎ましい暮らしとともに、町内や家ごとの年中行事や習慣のなかで育(はぐく)まれてきた料理である。そのため、野菜の葉や表皮、だしをとった乾物の残り物などをむだにせず、上手に使い切る。このくふうを「始末する」といい、おばんざいの特徴になっている。
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